今年5月いっぱいで、周辺の土地区画整理事業などの影響により閉鎖される「大阪学院大学 千里山グラウンド(吹田市佐井寺4)」。閉鎖間近の様子を写真に残そうと、同大学硬式野球部のみなさんご協力のもと5月22日に撮影取材しました。この日は総部員数約130人の内、主に1、2年生約70人が練習に参加していました。
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千里山グラウンドは、野球場、サッカー場、テニスコートの総称で、2階建てクラブハウスもある、市街地としては広大な施設です。国土地理院の空中写真によると、千里ニュータウンの各地でまちびらきが行われた1960年代前半に開発中の様子が伺えることから、優に半世紀以上の歴史があります。
もともとは、大阪証券業協会研修所が運営する福利厚生施設で、地域住民からは「証券グラウンド」の名で親しまれてきました。また25年ほど前までは、阪急千里線のそばに竹林に囲まれたプールもありました。そんな車窓の風景を覚えている方もいるでしょう。
大学は「証券グラウンド」時代も平日のみ使用していましたが、約20年前の不況の折、協会が手放した際に買い取って今に至ります。
今回お話をうかがったのは、硬式野球部の米澤秀典監督(60)。兵庫県・村野工業高校が1978年に初めて甲子園(春)に出場した時のメンバーで、大阪学院大学時代はエースピッチャーとして、同大初の明治神宮大会出場、ベスト4進出の立役者となりました。その後は、社会人野球・パナソニックでプレー。同大監督には2019年の就任です。


クラブハウスの2階、監督室の定位置からは、野球場の様子が一望できます。窓外の練習風景にかつての自分の姿を重ねるように、懐かしい話をたくさん聞かせてくれました。
「(選手時代の)40年前は、周りに住宅もほとんどなく、今よりもっと田んぼや池があって。高いネットも必要なかったんです」

「当時、今では考えられないような野球優先の毎日でした。授業よりも野球、というね(笑)」
「今の部員は大学(岸部南2)とグラウンドを自転車か電車で往復してるけど、僕たちはみんなランニング。それが4年間ほぼ毎日です。誰かが集合時刻に少しでも遅れると全体で責任を取らされたり…。水も飲むな、の時代で…。とにかく先輩が怖かった!」




「今でもそうですが、球場の周りの桜が本当にきれいで、花見の季節になるとお弁当を広げたり。グラウンドが無くなったら、この桜はどうなるんだろう、とか」


「コロナ禍で活動できないときは、グラウンドへの感謝の思いで、土を均したり、雑草を引いたり。放っておくとグラウンドはダメになるので」


来月からは、大学の近隣にできた、大阪学院大高校と共同の野球場を使用します。設備の整った雨天練習場も新設されました。
「部員たちは便利になるだろうけど、個人的にはやっぱり、あの頃の思い出がしみ込んだここを離れるのはさみしいですね」

土地区画整理事業の計画によると、新御堂と岸部方面を結ぶ道路がちょうどピッチャーマウンドとホームベースの間あたりを通り、グラウンド西側を南北に通る佐井寺と片山を結ぶ道路と、グラウンド北西にある林内で交差します。また、野球場やサッカー場の跡地には、一軒家や集合住宅が建てられる予定です。明日(23日)からネットの撤去が始まります。

監督の許可を得て、この日はグラウンドのあちこちを自由に撮影させてもらいました。「千里山グラウンド写真集」お届けします。





